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弾琴台

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自然観光
弾琴台
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弾琴台は、もともと大門山と呼ばれる小さな山で、その下には、南漢江と奇岩絶壁があり松林が茂って景色が良いところである。
今から約1400年前(AD536年ごろ)、新羅真興王の時代に楽聖于勒(ウルク)先生がカヤグム(伽倻琴)を奏でたところだとして弾琴台と呼ばれた。于勒は伽耶国カスル王の時代に生きた人で伽耶国の滅亡を予見して新羅に帰化したが、真興王が喜んで于勒を忠州に住まわせ、新羅の青年の中で法知、 階古、萬徳に踊りを習わせて于勒を保護し、于勒はいつも山の岩に座ってカヤグムを奏でた。

また、文禄の役当時の巡辺使申砬(シンリプ)将軍が麾下の将兵8千人を率いて背水の陣を敷き、日本軍小西行長を迎撃した末、戦雲が不利になり惨敗して南漢江に投身して殉国したという戦場跡として有名である。弾琴台の北の方にある南漢江の丘に100尺にもなる崖十二台というところがあるが、申砬(シンリプ)将軍が戦時に12回も上り降りしながら弓矢を水に浸して射って兵士たちを督励したといって十二台と呼ばれる。

現在弾琴台は、忠州文化院、野外音楽堂、忠魂塔、ジャガイモの花の歌碑、弾琴亭、弾琴台記碑、楽聖 于勒先生追悼碑、申砬(シンリプ)将軍殉節碑、趙熊将軍紀績碑、弓道場、大興寺などがあり、彫刻公園や体育公園も造成されている。

最近、弾琴台土城の発掘調査をした結果、三国時代(4世紀中後半)に百済国の勢力によって築造された土城であることが明らかになり、学界の注目を集めている。