忠州の歴史

1.1.1. 歴史的な背景

南漢江(ナムハンガン)の上流地域に沿って広がる忠州地方の先史遺跡は、中原文化の中心地である忠州の長い歴史を物語っています。
忠州は、先祖から受け継いだ豊富な文化遺産と自然を、全世界の人々と共に大切に保存し継承、発展させています。

History
年度 内容
B.C 3~4世紀頃、三韓のうち馬韓に属する
A.D 350百済 近肖古王5年 百済の領域(娘子谷城、娘子城、華城)
475 高句麗 長寿王63年  国原城 (別名 未乙省、ワンジャン城)
550 新羅 真興王11年 国原城に牧を設置
557 新羅 真興王18年 国原小京に改称
685 新羅 神文王5年  中原小京に改称
757 新羅 景徳王16年 中原京に改称、新羅の中央標榜
940 高麗太祖23年 忠州府に改称
983 高麗 成宗2年 12州中の一つである忠州牧に改称
995 高麗 成宗14年 中原道を設置、節度使配置
1018 高麗 玄宗9年  8牧中、忠州牧設置
1254 高麗 高宗41年 国原京に改称
1277 高麗 忠烈王3年 忠州城改築の際、城壁に蓮化模様を彫刻し蘂城と呼ぶ
1395 朝鮮王朝 太祖4年 忠清道に改称。忠州に道監英設置
1449 朝鮮王朝 世宗31年 忠清左道を右道に変更、左監司配置(牧使兼任)
1458 世祖3年 忠州鎭営に改称、忠州営将が8郡を管掌
(8軍:丹陽郡、永春郡、堤川郡、清風郡、槐山郡、延豊郡、陰城郡、清安郡)
1602 朝鮮王朝 宣祖35年 忠清道監営を公州に移転
1896 朝鮮王朝 高宗33年 観察使を配置、忠清北道の都庁所在地になる
1908 朝鮮王朝 純宗2年 都庁を清州に移転、忠州郡守配置
1913 日本強制占領期に郡と面の廃合と同時に忠州郡邑内面に行政改編
1917 忠州郡邑内面を忠州面に改称
1931 忠州面を忠州邑に昇格。
忠州郡(1邑12面)と決めて、忠州邑(4区域:本町、栄町、錦町、大手町1区、2区)に分ける
Jul. 8, 1956 忠州邑が市に昇格され、忠州市と中原郡に分ける
Jan. 1, 1995 政府の道農統合政策により、忠州市に統合された。